私たちHGJYA.HGCYAは、プノンペン滞在中にポル•ポト政権時収容所となっていたトゥールスレ
ン博物館、最期の場になったキリング•フィールドとスモーキー·マウンテンというごみ山を訪れました。
トゥール・スレン博物館では、錆びついた鉄のベッドと鉄の足かせが何もない部屋に無機質に置いてあリ,当時の拷問の様子を示した写真とともに展示されていました。
また、キリングフィールドでは、木に子どもを打ちつけ殺した後がくっきり残っており観光用に整備されている道にも白骨化した骨や衣服がむき出しに埋まっています。
一緒に回っていたHGCYAの親族もその惨劇に遭ったそうです。
表面上はとても明るいけれど彼らは深い傷を抱えながら毎日を生きています。
「あなたたちは友達だから私は良いガイドになって一生懸命案内します。でも、カンポジア人は絶対ここにはきません。」
「あの写真室には入りたくない。親戚の写真があリますから。」
とあるHGCYAは話してくれました。
ポル•ポトが「完全な兵士」と賞賛した地雷は地方に広く埋設され今も被害に遭う人が後をたたないと聞きます。
私たちが青少年指導者育成スポーツ祭を開催したグラウンドでは、9月に30発を超える不発弾を回収したというお話も伺いました。
生命の危機を感じながら生活することの不安は、また不条理な暴力によリ大切な人びとを失った痛みは私の想像を絶します。
私たち日本人にとって、戦争を記憶する人たちは年々少なくなリ、戦争は「昔話」になりつつあリます。なかなか私たちは日常の生活に生命の危機や明日生きることの不安を想像出来ないかもしれません。では、私たちの日常には不安や痛みを抱えている人たちは存在しないのでしょうか。
戦争の後遺症で痛みを抱え続ける人たちや水俣病や公害など不条理な力によリ「生きる」ことが左右される人たちの姿を私ははっきリと目にします。
生まれながらに貧困、不安という構造的暴力について理解するためには、このように自分の身のまわリの日常に目を向け、ローカルな暮らしのなかで様々な気付きを得ることが大切です。
世界的な課題を解決するヒントは私たちの日常の暮らしのなかにあるのではないでしょうか。
最後に、今回私にこのような貴重な機会を与えてくださいました皆様にこの場を借りて深謝いたします。