ハート・オブ・ゴールド(HG)東南アジア事務所 プロジェクト・リーダー ケオ・ソチェトラ

2006年に現場スタッフとして小学校体育科教育支援の仕事に関わった時、とてもハードルが高く、HGから逃げだしたいと思ったこともありました。自分自身が体育の授業を受けたことがなかったからです。内戦時、私は小~中学生で、体育といえば、軍事訓練かクメール体操をみんなでやるだけでした。たくさんのスポーツ用語にも困りました。例えば、跳び箱、リレー、縄跳び、などカンボジア語にはない言葉が次々と出てきました。しかし私は、自分は体育の授業を受けることができなかったけれど、私の子ども達には体育の授業を受けさせたい、私がやらなかったら、カンボジアの体育が始まらないと気がつきました。とても大切な仕事だと思ったので、一つ一つ勉強しながら、泣きながら…進めました。教育省の人達の多くも、私と同じく体育を学んだことがありませんでした。そこで、彼らと協力して「カンボジア語体育用語集」を作っていきました。
体育科教育事業に携わっている教育省の人達は日本人と一緒に働いたことがなかったため、日本人の考え方がなかなか理解できませんでした。最初の頃、40代の彼らと20代の私はうまくコミュニケーションが取れず、時間がかかりました。当時、彼らはまだワーキンググループが出来ていなかったので、そして、この事業が認知されていなかったので、効率も上がりませんでした。でも、6人の教育省の人と私を合わせて7人が担当官として選抜され、「7人の侍」と呼ばれて、気持ちを一つにして小学校体育教育を普及していきました。
小学校の先生たちは、内戦を経験した人も内戦を経験していない人も、私と同じく、クメール体操をやるだけの体育の授業しか受けたことがなかったので、なかなか新しい体育が理解できませんでした。特に、女性の先生たちは、私はできないとか、ボールの種類(バスケット、サッカー、バレー)さえわからないと言っていましたが、今では、子ども達に新しい体育を教えられるようになりました。
やっと、この大変な壁を乗り越えて、今は、HGのスタッフとして誇りをもって仕事を続けています。