【元副代表理事 ローレン・モラー】
~金メダルは心のシンボルです~
私はこれまで、同時代の選手達と同様、オリンピックの金メダルをめざし、興奮に充ちた人生を送ってこれました。また、同時に各地を旅行できる喜びや名声、 成功にも恵まれました。こうした競技生活をつづけたマラソン選手はよく、あれだけ走りつづけてきて、第一線を去った後は何を考えますか?と、人に聞かれる ことがあります。私もまた同じ質問をされ、金メダル獲得の意味や、なぜあれほど選手が金メダルに必死になるのか、また金メダルを獲得したとき、世間が拍手 喝采するのか、考えました。
その答えとして、私はいま、金メダルというのは、人の心のシンボル、人に寄せるやさしさだと信じています。人の価値を決めるのは、人生で何を達成したか、 ということではないでしょう。だれしも、利己的なところがありますし、自分がやったことを自画自賛しがちです。しかし、ゲームが終わって、メダルを磨く以 外にできることがないとしたら…金メダルも馬鹿げていると思います。名声も同じく、人の役に立たないなら、一時的な価値しかありません。そうした意味で、 有森裕子さんのNGO、「ハート・オブ・ゴールド」に私が参加できることは、非常に誇らしく思っています。
これまで、私はオリンピックで有森さんと走ってきましたが、実に立派な卓越したランナーでした。しかし、私が裕子さんを真に賞賛するのは、ランナーの域を 越えた点にあります。それは、私が彼女の中に、めったにない美しい社会貢献のハートを目のあたりにしたためです。彼女こそ、心の金メダリストの生けるサン プルで、このNGO組織の指導者は裕子さんを除いては考えられません。
私と裕子さんはともにモンゴルやカンボジアを訪問しました。モンゴルでは、何千ものホームレスの子供たちを見ました。経済革命の歪みから、両親に捨てられ、あったかい家庭や父母の愛、保護という生まれながらの権利を奪われた子供たちです。
一方、カンボジアでは、義足を求めて病院の前に群をなす人達を見ました。テロのために障がい者となったこの人たちは、裕子さんや私のように走れることは決 してないでしょう。この世界は、まぎれもなく、困難に直面していますが、その解決を人任せにしておいてはいけないでしょう。
実際、世界の問題を解決できないにしても、一人一人が人間として行動すれば、少しは役に立つことはできるはずです。私たちは、単に、白人とかアジア人、欧 亜の混血、アフリカ人、インド人ではないんだという考え方をすべき時を迎えています。私たちは共通の遺産をもち、共通の未来を持つ人類だと認識するべきで す。よしんば、イデオロギーが違っても、共通の心さえもっていれば、問題ではないのです。
私や裕子さんはこれからも、モンゴルの浮浪児やカンボジアの地雷被害者の側を離れることはできません。彼らも私たちと同じ人間なのですから。
誰でも、金メダルを得ることはできます。それを、求めようとする心さえあれば。どうか皆さんもこのNGOに参加してください。